「おはよ」 「…………;」 自室のドアが開き、手塚は視線をその先へと向けた。 そしてその家宅侵入罪の少年を見て、軽く溜息をつく。 眉間にはいつもより余分に皺が刻まれていた。 > 勉強会 「…越前、頼むから呼び鈴を鳴らして入ってきてくれ」 「やだ。部長の家が無用心過ぎなんだよ?開けっ放しなんて」 リョーマは我が物顔で床に座ると、自分専用のクッションを手繰り寄せる。 自分がこの家に通うようになってから、手塚の部屋に置かれるようになったものだ。 「…一応聞くが、母さんは?」 「彩菜さん?会ったけど、普通に挨拶しただけ」 「…そうか…」 手塚家ではリョーマは家族の一員のように見なされていて、朝早い時間に居ようが、何泊も泊まっていこうが平気だった。 それはいい事ではあるのだが、こうも馴染んでしまっているのもどうかと手塚は心の中で思った。 「ね、ちゃんと宿題持ってきたよ」 えらい?と聞いてくるリョーマを見て、手塚は薄く笑顔を浮かべて、その頭を撫でた。 リョーマは気持ち良さそうに目を閉じた後、にっこりと笑った。 「分かんないとこあるからさ。…教えてね?」 「あぁ」 折角の夏休み…それも貴重な部活のない日。 一緒に何かしよう。という事になったけれど、お互い特に行きたい場所がなく、家でいいかという事になった。 しかし行きたい場所がない、というのは間違いであり、二人はただ一緒に居れるならどこでもいいという考えだった。 そしてリョーマが何気なしに宿題が終わってない事を告げると、こういう結果になったのだった。 「…越前、まだこんなに残っているのか?」 「うん。終わってる部長の方が変だよ。まだ7月だよ?」 本日7月31日。夏休みに入ってから、10日程しか経っていない。 勿論その間も練習があったのだから、流石としか言えないが。 「そんな事はない。計画的にやっていれば、お前だって終わっていたはずだぞ?」 「だって…部活の後、疲れて寝ちゃうし」 「…お前は本当に、欲求に忠実だな」 そんな言葉でも、全然皮肉はこもっていなかった。愛しそうにリョーマを見つめると、ポンポンと頭を叩いた。 「手伝ってやるから、早く終わらせるぞ」 「…今日中に?」 「早くやれば、その分後が楽だろう?」 「でも、これじゃあ…」 リョーマが言葉を濁したのも無理はない。まだ全体の五分の一程しか終わってないのだ。 「大丈夫だ。テキストなら手伝ってやれるし…レポートも、上手い書き方を教えてやろう」 「部長がレポート書いてくれてもいいのに」 「…確実にバレると思うが」 リョーマはその言葉にクスッと笑い、「それもそうだね」と言ってテキストに取り掛かった。 手塚はリョーマが質問してくるまでの間、新刊のテニス雑誌をパラパラと捲っていた。 「部長、古文分かんない…」 「あぁ…、まず大体の意味を掴むために現代語訳してみるんだ」 「んーと?あ、じゃあこれが主語になるの?」 「そうだ。…やれば出来るじゃないか」 飴を与える事を忘れず、手塚は優しい手つきでリョーマの頭を撫でた。 その動作にリョーマはうっとりと目を細め、嬉しそうに微笑んだ。 「ここ分かれば、後は出来そう」 「そうか。頑張れよ」 リョーマは宣言通り、再び手塚に質問する事はせず、黙々とテキストを進めていった。 手塚もその姿に安心し、また視線を雑誌にへと落とした。 「…ふぁ……」 「?…おい、越前。寝るなよ?」 欠伸をするリョーマに危険を感じ、手塚は先に釘を刺した。 「ん…大丈夫…」 けれど生返事なリョーマは、目を擦るとボーとした視線を手塚に向けた。 その姿は酷く愛らしく、手塚は理性を総動員させて欲望を抑えた。 「え、越前…まだ終わってないだろう?」 「でも…あともうちょっとだし…」 言われて見てみれば、課題になっているテキストは残すところ2ページ程度だった。 思ったよりもペースの早かったリョーマに驚き、手塚は少し困惑気に言った。 「もうこれだけか?…レポートは?」 「ん…レポートは菜々子さんに書き方教わったし、部長に流れ書いてもらったから、後でも出来る…」 「けどな、出来る時にやっておかないと…」 「もういっぱいやったもん…!俺、つまんない」 眠たげな表情を一変させて、リョーマは手塚にしがみ付いた。 結局の所、眠いのではなくかまって欲しかったのだ。すぐ近くに居るのに、触れられない微妙な距離。 自分から触りに行っても怒られないように全部終わらせるつもりのリョーマであったが、もう少しの所で限界になった。 「部長ぉ…、もういいでしょ?」 「…越前…」 手塚は一瞬だけ迷ったが、次の瞬間には諦めた。 確かにこれだけ終われば後は一時間程度で済んでしまうだろう。 ここで無理に勉強させて機嫌を悪くされても、後々自分が苦労する事が目に見えていた。 「…仕方ないな。今日はもういい」 「やった!部長、ありがとvv」 リョーマは抱きついている自分より大きい身体に頭をぐりぐりと寄せ、猫のようにゴロゴロと手塚に甘えた。 手塚はそんなリョーマを優しく抱きしめ、その髪の香りを楽しんでいた。 「部長ってさ、何かいい匂いするよね…」 「そうか?別に何もつけてないが」 「んー…そういう匂いじゃなくてね。もっと、優しくて自然な匂い」 手塚は(…それは体臭という事なのか?)と少々複雑そうに首を傾げた。 リョーマには手塚の考えが手に取るように判り、クスクスと笑みを洩らす。 「なんかね、良い匂いなんだよ。俺、部長の匂い好き…」 見上げる体勢のまま殺し文句を言うリョーマに、手塚は溜息をついた。 可愛いのはいいのだけれど、誰に対してもこんな風に振舞っていないか怪しいものである。 「部長!俺と居るのに、溜息なんてつかないでよ。幸せ逃げちゃうでしょ?」 「…それなら、問題ないだろ?」 「え、どうして?」 「…お前と居るのが幸せなんだから、溜息をついた所でおつりがくるぐらい幸せ者だと思うがな、俺は」 「まぁたそういう恥ずかしい事、言うんだから…」 口を少し尖がらせて言うリョーマは、この上ないほどに愛らしい。 普段通り振舞おうとしていても、真っ赤な顔が事実をありありと伝えている。 「こんなに幸せな思いをした勉強会は、初めてだぞ」 「………俺も」 リョーマは少し照れた様に目を閉じると、ジッと手塚の行動を待った。 手塚は可愛くて幼い恋人の頬にそっと手を添えると、彼の要望に応えるように唇を塞いだ。 暑い夏の、もっともっと熱い恋人達の休日。 |